1953-07-28 第16回国会 衆議院 人事委員会文部委員会連合審査会 第1号
上は大病院の院長さんから、医学界において貢献をしておる老先生から、下は見習看護婦、あるいは歯医者の技工にいたるまで、一本の俸給表でやつておりますのに、どういうわけで教育職だけ特に三本にしなければならない必要があるのでございましようか。その根拠をお伺いいたしたいと思います。
上は大病院の院長さんから、医学界において貢献をしておる老先生から、下は見習看護婦、あるいは歯医者の技工にいたるまで、一本の俸給表でやつておりますのに、どういうわけで教育職だけ特に三本にしなければならない必要があるのでございましようか。その根拠をお伺いいたしたいと思います。
今お話の見習看護婦といつたふうに取扱われても私は困ると思う。とにかく一応国家の最高学府を卒業したる堂々たる医学士であります。やつてやれないことはない。
二十一年の五月頃からどんどん看護婦じやない一般の人を、見習附添看というのですか、そういう意味で見習看護婦にするのだと言つて連れて行かれた方が大体いらつしやいます。二万二千というのも、正看の看護婦は一万くらいで、あとは皆一般病院の看護婦さんとか、又は普通の看護婦として残された方なんです。
それから日赤看護婦として、見習看護婦として入隊したのです。昭和二十八年八月十六日まで同七部隊病院で勤務しておりました。同年八月二十四日ソ連軍進駐、それからソ連軍が二十年の十二月引揚げて、その次に中共軍に引渡されたのです。牡丹江で一ケ月、ハルピン第一後方病院三ヶ月、チヤムス一ヶ月です。
この看護婦は、公認看護婦、見習看護婦、産婆又は助産看護婦というような者が雇われと働くのがありますが、その費用は大体サービスに直接必要なすべての費用を含みます。この報酬は雇主であるところの公立病院、或いは國庫補助金のある組合に支拂われることになつております。
そのほか見習看護婦として二萬人、正規の看護婦として三千五百人、これくらいの女があるということを言つております。これらの人々の状況を聽いてみると、實は精神的に參つておるらしいのであります。ソ連においでになる方々は、月五萬人ずつ返していただけるという希望があるので、まだ生活に若干の光明があるのですが、中共地區においでになる方々は實際いつ歸えれるのだかわからない。